電影日記(ブログ) - 善龍寺に墓参りに行ってきました
お盆を迎えて、ご先祖の墓のある善龍寺に墓参に行ってきました。
善龍寺は會津藩家老 西郷頼母、西郷家二十一人の墓や高木家、井深家、會津五流祖の墓、奈与竹の碑など多くの會津藩士の代々の墓のある會津藩に縁の寺です。
藩政時代は壮大な敷地と多くの藩士を檀家として隆盛を誇っていたのですが、戊辰戦争で西軍に焼かれ、藩も会津の地から斗南藩に転封となったことから檀家の激減なども重なり一気に荒廃し、訪れる人もいない荒寺となっていました。
高遠以来の我が相澤家も會津〜斗南〜廃藩置県〜福島と移動し、父の時代に会津の旅館を営む家と縁があったことから、戊辰以来80数年の時を経て、会津に戻ってくる事ができました。
そんなわけで小生も先祖の地会津で生を受ける事ができました。
(そんなことで相澤家の末裔ですが、佐藤を名乗っています)
しかし、子供の頃に會津藩士の子孫なんだからと、連れてこられた善龍寺はいたるところで墓石が倒壊し、昼なお暗いうっそうとした森、やぶ蚊の襲来など、本当にいやな場所でした(笑)。
墓参の折には、今年NHKの大河ドラマ「八重の桜」でも取り上げられたことにより、今まで見たことがないくらいの多くの墓参、見学の人たちが訪れてビックリしました。
*お願い ○墓参、見学の際は住職など、お寺の人に声を掛けてください。
○境内、墓地などは禁煙です、線香などの火の始末もしっかお願いします。
善龍寺は會津藩家老 西郷頼母、西郷家二十一人の墓や高木家、井深家、會津五流祖の墓、奈与竹の碑など多くの會津藩士の代々の墓のある會津藩に縁の寺です。
藩政時代は壮大な敷地と多くの藩士を檀家として隆盛を誇っていたのですが、戊辰戦争で西軍に焼かれ、藩も会津の地から斗南藩に転封となったことから檀家の激減なども重なり一気に荒廃し、訪れる人もいない荒寺となっていました。
高遠以来の我が相澤家も會津〜斗南〜廃藩置県〜福島と移動し、父の時代に会津の旅館を営む家と縁があったことから、戊辰以来80数年の時を経て、会津に戻ってくる事ができました。
そんなわけで小生も先祖の地会津で生を受ける事ができました。
(そんなことで相澤家の末裔ですが、佐藤を名乗っています)
しかし、子供の頃に會津藩士の子孫なんだからと、連れてこられた善龍寺はいたるところで墓石が倒壊し、昼なお暗いうっそうとした森、やぶ蚊の襲来など、本当にいやな場所でした(笑)。
墓参の折には、今年NHKの大河ドラマ「八重の桜」でも取り上げられたことにより、今まで見たことがないくらいの多くの墓参、見学の人たちが訪れてビックリしました。
*お願い ○墓参、見学の際は住職など、お寺の人に声を掛けてください。
○境内、墓地などは禁煙です、線香などの火の始末もしっかお願いします。
(住職が特に気にすることです)
○供物なども御帰りの際にお持ち帰りください。
○寺までの道路は特に狭いので譲り合いの気持ちをもって、くれぐれも安全運転でお 願いします。
以上、善龍寺の檀家として、會津藩士の末裔として皆様にお願いします。
○供物なども御帰りの際にお持ち帰りください。
○寺までの道路は特に狭いので譲り合いの気持ちをもって、くれぐれも安全運転でお 願いします。
以上、善龍寺の檀家として、會津藩士の末裔として皆様にお願いします。