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電影日記(ブログ) - 全国新選組サミットin玉造

全国新選組サミットin玉造

カテゴリ : 
活動報告
執筆 : 
管理人 2005-8-6 23:00
2005年8月6日(土)
筆記者:S.N賛助隊士

霞ヶ浦大橋を渡ると、芹澤鴨・平間重助のふるさと玉造町に着きます。ジリジリと照りつける猛暑の中、会津からの本隊と玉造町役場で合流し、公民館へ移動しました。スタッフの方が迎えてくれる中、着替え室に入り隊服に身支度し、気持ちを引き締めます。たぶん、現地の美容院の方々が、着付けを手伝ってくれたのだと思います。おかげで会話も弾み、楽しくスムーズに着替えることが出来ました。
各隊のトップは、「全国ゆかりの地サミット」会場へ集合し(ちなみに次回は新潟の長岡です)、私達は記念講演会のホールへ行き、途中からでしたけど、民話「河童の恩返し」を少し聞きました。語り部の間にギターの弾き語りが入り、よりもの哀しさが伝わってきました。

トークショーでは、会津新選組同好会は席を一番前に陣取り、真剣に聞いていました。第一部では、吉川幸司氏、山村竜也氏の昨年の大河ドラマでのエピソードや人物像など、まだまだ記憶に新しいドラマでしたので、とても身近に聞こえました。特に大河ドラマは一過性ですぐにブームは終わってしまうのですが、終わってしまってもなお盛り上がる、それが「新選組」です。「それからの新選組」来春の正月に大河ドラマとしては初めての続編として、土方歳三に焦点をあてたスペシャルドラマ、今からとても楽しみです。
土方歳三と言えば、栗塚旭氏。第二部の講演会では、鉢巻をし、ダンダラ模様の法被を着て、大きなジェスチャーを交えての親しみやすい人柄、講演はあっという間に終わってしまいました。昨年の大河ドラマでは、歳三の兄役で出演し、幕末の時代を生きた兄から弟(歳三)に「何が正しいか、何が間違えていたかは百年先、二百年先の人間が決めればよい」と言った言葉がありました。その通りだと感銘しました。

トークショー、講演会を聞いたあとは、いよいよ隊士パレードです。玉造駅前に、色とりどりの隊服の隊士が集結しました。五時からのパレードには、まだまだ陽は高く、時折吹く風にホッとしながら出発を待ちました。会津新選組同好会は二番目に控え、松平容保公(局長)を先頭に、局中法度を唱和、勝ち鬨を上げて出発です。旗手の高校生二人のもつ旗は、真っ直ぐにどこまでも進み、立派でした。七百メートルを少しずつ進んでいきました。途中何回も勝ち鬨を上げ、沿道の方々から大きな拍手をいただきました。

パレードが無事終了し、早々着替えてゆかりの地交流会に参加しました。地元の方々の手作りのご馳走がたくさん並ぶ中、栗塚旭氏も参加して楽しい時をすごすことが出来ました 。食事をしながらの会話、壇上でのゆかりの地各隊のPR、抽選会、邦楽演奏会などなど・・・芹澤家などの子孫が次々と登場してきましたが、何か不思議なものを感じました。ここまで局長はずうっと容保公の衣装です。とても疲れ、暑かったことと思います。



車で走って五分位の、本日の宿に着き、全員ホッとしてゆっくりくつろぎました。途中二次会に入り、栗塚氏、日野新選組同好会の方々と夜が更けるまで会話が弾みました。もう眠いです・・・!まだまだ元気のある方の三次会の声が遠くで聞こえていましたよ。

翌日私は私用の為、急遽宿を発つことになりました。今回の遠征の中で思ったこと。私の中での芹澤鴨の人物像が、少し柔和になったこと、それは地元で(新選組の産みの親を)アピールしていたからかもしれません。悪徳極まる、凶悪無残な芹澤鴨。こんな芹澤でも、辞世の句まで用意していた時があります。
「雪霜に 色よく花の魁けて
        散りても後に 匂ふ梅が香 」

真夏の暑い陽射しの朝、霞ヶ浦の岸辺に寄せる波をどんな気持ちで見ていたのか、幕末の芹澤鴨・・・そんなことを思いながら大橋を渡り、帰路に着きました。

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