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トップ  >  会津藩と新選組  >  【揺らぐ徳川幕藩体制】1800〜1840ごろ
  • 諸外国の接近19世紀はじめの日本
    徳川家康が江戸に幕府を開いてから200年が経ち、その後の鎖国政策もあって、国内は泰平の時代が続いていました。しかし、相次ぐ飢饉などで諸藩の財政が悪化する傾向にあり、さまざまな改革が行われるようになりました。これらは一定の成果がありましたが、なかなか好転しない状況に対し、次第に各地から不満の声が上がるようになりました。特に外様大名の中には、幕府の命に従おうとしないところも見られはじめ、幕府の支配力低下が懸念されだします。
  • 欧米列強の脅威が迫る
    このころの世界に目を向けてみると、フランスのナポレオンの台頭に象徴される、列強諸国が競って領土拡大に走り、触手がアジアへと伸びてきていました。インド・中国が植民地化され、鎖国をしていた日本の近海にも外国船が出没するようになりました。幕府は開国拒否の姿勢を貫きますが、近代兵器を携えた外国船の姿に沿岸の住民はおびえ、外国人の侵略の風評さえ聞こえるようになりました。
  • 会津藩の忠義
    八代将軍の吉宗以降、強力な支配力を持つ指導者に恵まれなかった幕府の支配力の低下が、国内の不信を募らせていました。しかしながら会津藩では、初代保科正之が定めた「家訓」の第一条に謳われた将軍への絶対忠誠を厳格に受け継いでおり、弱体化する幕藩体制の中で、中枢の幕閣たちにも知られていました。さらに泰平の世が続いていながら、武士の本分である武芸の鍛錬に怠ることなく、逼迫していた藩財政も改革によって建て直しを見せていたことから、海防の為の一番手として白羽の矢が立ったのでした。
    家訓(かきん)
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【沿岸警備にあたる会津藩】1807〜

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