- 会津・薩摩 対 長州
一年前の「八・一八の政変」により、京都での足場を失った長州勢は、再び討幕のために立ち上がり、京都へ兵を集結させました。
そして御所の警備を武力で打ち破ろうとして、戦闘の火蓋が切って落とされたのでした。
しかし、兵力の差もあり、来島又兵衛らの武将も落命して長州藩はまたもや敗退しました。
市民感情
禁門の変では、京都市中もかなり焼失し、庶民の生活にも大きな被害がありました。
それまであまり戦闘とは縁がなかった土地であり、市民生活を守ってくれるという守護職などへの信頼感も薄れさせることになりました。
松平容保が馬上に雄雄しく描かれている。
【新選組の活躍】1864〜1867 |
会津藩と新選組 |
【徳川幕府の終焉】1864〜1867 |