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トップ  >  会津藩と新選組  >  【国内の動揺】1854〜1862
  • 開国
    強大な軍艦の船団で日本近海に出没する海外からの開国要求に対し、幕府はついに、ペリー率いるアメリカの一行と和親条約を締結し、約200年続いた鎖国政策は幕を閉じました。しかし、外国人を嫌う孝明天皇には、幕府に対する強い不信感を抱かせました。
     
  • 尊皇攘夷運動
    「尊皇攘夷」とは、天皇を尊び夷敵(外国人)を排除しようとする思想で、欧米各国と弱腰外交に終始する幕府の姿勢を非難するものです。幕府側でも天皇を敬う考えに変わりはないとして、「勤皇佐幕」という表現で訴えました。
     
  • 安政の大獄
    弱体化する幕府において、新たに大老に就任した井伊直弼は、幕府への抵抗勢力を力で排除しようとしました。これが「安政の大獄」です。長州の吉田松陰らを処刑し、水戸の徳川斉昭らが謹慎となりました。こうして幕府の力を知らしめようとしたのです。会津藩主の松平容保も、このころ幕府への忠誠を示す文書を提出しています。
    松平容保が提出した誓詞(写)
    井伊直弼はこのような形で、藩主たちの幕府への従属を確認したと思われます。
     
  • 桜田門外の変
    力で抑えつけようとした井伊直弼は、反対する勢力の反感を一身に浴びる形となりました。吉田松陰の処刑から半年も経たない万延元年3月、水戸浪士たちに暗殺されました。このような争いが幕府の中枢にほど近い場所で発生したことは、江戸の庶民にも大きな衝撃を与えました。さらに坂下門外でも暗殺未遂事件が発生し、国内にも敵の存在があることを知らされました。
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