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トップ  >  会津藩と新選組  >  【徳川幕府の終焉】1864〜1867
  • 長州征伐の失敗
    長州藩の京都での地位回復を狙ったクーデター(「禁門の変」)が失敗に終わり、長州藩は再び下野しました。
    しかしその後も、イギリスと戦争を起こしたりしながらも徐々に軍備を整備し、やがて土佐の坂本竜馬の仲介によって薩摩藩と同盟関係を締結しました。
    こうした長州の動きに対して警戒を強める幕府は、二度にわたり長州藩への攻撃を仕掛けました。
    しかし、外国から近代的な武器や戦法を取り入れた長州に対し、戦国時代さながらのいでたちの幕府軍は思うような成果を上げることができず、軍事力の低さを露呈してしまいました。
     
  • 二条城大政奉還へ
    長州藩と薩摩藩という、西日本の大藩二つが手を結び、討幕の動きがいっそう加速しました。
    幕府側では旧来の体制のもとでの引き締めを目論みますが、土佐・尾張・越前といった有力藩も積極的に幕府を支持する姿勢を見せませんでした。
    こうした中で十五代将軍の徳川慶喜は、熟慮の末に、国内を二分するような戦闘状態にすることは避けるべきとの判断から、将軍職を辞することで回避しようとしました。
    そして十月十四日に、天皇へ大政を奉還し、徳川幕府体制二百六十余年、鎌倉時代以来六百年以上続いた武家政治に幕が降ろされました。
     
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